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Crown 2      L 5  Saving  Cherokee

 

 

 

話し手が死んだり、現代社会に移り住むと、言語は絶滅の危機に瀕(ひん)します。チェロキー語はそれらの言語の1つです。

 

 

 

 

 

Part 1のみ)

 

 

 

1830年には、ほぼ125,000人のアメリカ先住民が米国南東部に住んでいました。しかし1838年に、彼らは西へ移動することを余儀なくされました。15,000人以上のチェロキー族が真冬にオクラホマへ歩いて行きました。およそ5,000人が死亡したようです。彼らの子孫が現在のチェロキー先住民です。

 

 

 

ツアリという名前の指導者のもとにいたチェロキー族は、立ち去ることを断りました。戦いがあり、殺された兵士もいました。軍隊はツアリに、もし降伏して兵士たちの死の代償を払えば、他のチェロキー族はふるさとに留まることができる、と言いました。

 

 

 

ツアリは降伏して、自分の従者 [部下] たちが留まることができるように、銃で撃たれました。彼らの子孫が今日の東部チェロキー族(イースタン・バンド・オブ・チェロキー・インディアンズ)です。ツアリは英雄として覚えられています。東部チェロキー族は、彼らの文化を生かし続けるために努力してきました。しかし20世紀の終わりまでには、子供たちはもはやその言語を学んでいませんでした。チェロキー語は絶滅の危機に瀕(ひん)していました。

 

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